看護師

【新人看護師】看護師1年目で人生初の挫折を味わった話【1】

3月。なんとか社会人1年目を終えることができそうです。

しかし1年間社会人として働いた今、下がり続ける自己肯定感、慢性的に続く体調不良、常に仕事のことを考えて憂鬱・・・。加えて周囲の人にはなかなか相談できない。

自分の考えや今の思いを整理するために、一度ブログで吐き出してみることにしました。もしこのブログが、新卒社会人の方や今同じような状況にある方の目にとまり、少しでも共感してもらえたら嬉しいです。

社会人1年目、人生初の挫折。

私はこれまでの人生で、挫折という挫折をしたことがなかった。もちろん、たくさん失敗したし、悩んだりすることはあった。人間関係ですごく悩んで、泣いたりもした。

でも、取り返しの付かないとんでもないミスとか、立ち直れないくらいの失敗とか、親や先生や先輩に強く怒られるとか、自分を嫌いになるとか、そういうことがなかった。

今は一人暮らしをしているが、家族仲は良く、ちょこちょこ帰省している。これまでの学校生活はとても楽しいものだった。友達や部活の仲間、先輩・後輩にも恵まれていたと思う。いじめられたこともないし、学校に行きたくないと思ったこともない(ただただ行くのが面倒くさいと思ったことはある)。中学校や高校では成績は良い方だった。先生には褒められることの方が多かった。怒られた記憶はほとんど無い。1対1で個人的に褒められることもあったし、みんなの前で「ぽんさんを見習え」的なことを言われたこともある。「しっかりしてるね」「さすがだね」と言われることも多かった。その時はすごく恥ずかしかったけれど、先生に認められた自分がとても誇らしかった。

つまり、20数年間のこれまでの人生は、概ね順調だった。就職するまでは。

2022年4月、新卒看護師として病院に就職

2022年4月、看護師国家試験に合格した私は、新人看護師として病院に就職した。憧れの医療職に就けたことが嬉しかった。「これから大変なこともあるだろうけど、同期と一緒に頑張ろう」と思った。「自分ならやれる」とも思った。自分で言うのもなんだが、私は自己肯定感が高い方だと思う。これまで勉強を頑張ってきた自分が好きだったし、親や友達もいるし、仲の良い同期もいる。「私はうまくやれる」「怖い先輩もいるかもしれないけど、たくさん先輩から学んで吸収して、頑張ってついて行こう」と意気込んでいた。

研修を終え、実際に部署で働き始める

2週間程度の研修期間を終え、いよいよ部署に配属され仕事が始まった。

緊張の連続だったが、毎日必死にメモをとり、先輩の後を追い、業務を少しずつ覚えていった。確かに大変だったが、自分でできることが増えていくことが嬉しかったし、ほんの少しずつだが自信もついてきていた。初めて患者さんに採血をして成功したときが、今までで一番嬉しかったかもしれない。「やった!!自分も看護師として少し成長できた!」と思った。「採血とか点滴とか、医療職っぽいことがこんなぺーぺーの自分にもできるんだ」と思った。患者さんに「あら、採血上手ね。私は難しいって言われるのに。」と言われたときは、「本当ですか?ありがとうございます。」と冷静を装いながら、マスクの下で口元が緩んでいるのが自分でも分かった。

そのうち入院を取り始めた。効率よく情報をとったり、書類を作ったり、なかなか先輩のようにはいかずきつかった。でもこれも、徐々に慣れてきて、少しずつこなせるようになっている実感があった。ほぼ定時で帰れる日もあった。夜勤が始まり、身体的な疲労もありはしたが、同期や大学時代の友達とご飯に行く休日や毎月の給料日を楽しみに、仕事へ行っていた。

これぞ社会人!って感じの生活

4月に配属され、半年間勤務した部署は好きだった。先輩は優しい方ばかりで、指導されることはたくさんあったけれど、1つ1つできるようになっている実感があった。同期とも仲が良く、何回もご飯に行った。同期と仕事の愚痴を言い合いながら、結局いつも「まあでも頑張るか~」という結論で終わっていた。

時々は帰省して、親や祖父母に顔を見せて、「大変だけどまあなんとかやってるよ~」と話し、母のご飯を食べて、「じゃあまた!仕事頑張る!」といって一人暮らしの家に戻った。

初任給で自分へのご褒美や、親へのプレゼントを買った。休日は趣味のカフェ巡りとショッピングをした。のんびり家でコーヒーを飲んだり、おやつを作ったりする日もあった。

仕事には、弁当もほぼ毎日持って行っていた。朝が苦手で、朝から弁当を作るのは難しかったため、休みの日に作り置きをしてそれを詰めたり、冷凍食品を使ったりして、毎日作り続けていた。「一人暮らしなのに偉いね」と先輩に何度も言われた。「偉い」という感覚は自分ではなかったが、節約にもなるし、今のところ苦痛じゃないし、という感じで続けていた。

部署異動。これが始まりだった

秋。やっと慣れてきたところではあったが、職場の教育方針により、部署を異動した。今考えれば、これが全ての始まりだったと思う。

異動先の部署は、とても忙しい部署だった。毎日毎日、やることが山のようにある。緊急入院も多く、常にバタバタ。それでも、テキパキと仕事をこなす先輩をかっこいいと思ったし、自分もこうなりたいと思った。

しかし思った以上にきつい日々が始まった。残業は当たり前。定時に帰れる日など無い。

前の部署とは先輩も、医師も、物品の場所さえも違う。患者さんに処置をしたいのに、物品の準備すら自分でできず「すみません、あれはどこにありますか?」から始まる。ただでさえ忙しいのに、そんな質問をするのはとても申し訳なかった。そして、前の部署とは比べものにならないくらい、やることが多い。気づいたら1時間2時間くらいは平気で経っている。本気で、「この部署だけ時空がゆがんでいるのではないか」と思った。そして、初めてやる処置(それもかなり大切な処置)がとても多く、まず自分1人では患者さんのもとへ行けない。先輩に付いてきてもらう必要があるため、倍の時間がかかる。先輩の時間を奪うのが申し訳ないが、かといって1人でできる訳でもない。「早く自立して、先輩に迷惑をかけないようにしなければ」という思いは日に日に強くなった。加えて、やってもやっても、新しいこと・できないこと・習得すべき技術はどんどん出てくる。「これができるようになった」と思っても、一瞬で、次にクリアすべき課題が現れる。だんだんと疲れてきて、「あれもできない・・・これもできない・・・」とネガティブになっていくのが自分でも分かった。

そして、部署異動してから一番感じていること。

「怒られない日が無い」

これまでの人生でこんなことは初めてである。本当に、怒られない日が無い。

毎日、何かしら指摘される。毎日、何かしらやらかしている。やらかしのレベルは、「これはこうするんだよ。次から気をつけてね。」といったちょっとしたことから、とんでもないインシデントまで様々。でも、とにかく指摘されない日が無いのだ。休みの日でさえ、先輩から指摘のLINEが来る。

そして、

「なんで早く言わないの」「やる前に相談してくれていれば・・・」「それ誰かに相談したの?」

これも今まで何回言われただろう。要するに「報連相」の圧倒的欠如である。

自分が、ここまで報連相ができないとは思わなかった。報連相に限らず、ここまで無能だとは思わなかった。ここまで「できない人間」だとは思わなかった。

「自分でやらないと」「こんなに教えてもらっているのだから、早く自立しないと」「まだできないのかと思われそう」「前も教えたのに、と言われそう」こんな思いが先行して、報連相が全然できない。自分ではしているつもりではあったが、先輩目線で見ると全く足りないのだ。何かやらかした後で、先輩に「ここで相談して欲しかった」「こう行動して欲しかった」と言われると「確かに・・・」と毎回納得できるのだが、『その時』に『ここで相談すべき』という判断ができない。自分なりに考えて、自分の中で結論を出してしまう。全く同じシチュエーションでの失敗はさすがに無いと思うが、「注意される内容」が同じようなことなのだ。

そして、ついに恐れていたセリフを言われてしまう。

「これ、前も同じこと言わなかったっけ?」

はい、言われました。

自分でも分かっている。なんだか、色んな先輩に同じようなことで注意されている。気のせいでは無い。

「いや、同じ失敗するとかあり得ない。」「一回言われたら改善して、二度と同じ事をしないようにすべきだ。」こんな声が聞こえてきそうだ。

その通りである。全く、自分でも何やっているのか分からない。

そして、「ほら、○○さんはこんなにできているのに」「ぽんさんも頑張らないとね!」同期は大変な中でも頑張って仕事をし、成長し、先輩に認められている。

さらに、人生で初めて言われた言葉。

「もう、しっかりして!」

学生時代に言われていたことと全く逆。「しっかりして」なんて、初めて言われた。

「私って、しっかりしてなかったの・・・?」

衝撃だった。

こんなに自分は無能だったのか。こんなに「できない側」の人間だったのか。

これまでの「自分」が、音を立てて崩れ落ちていくようだった。

【2】へ続きます。